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熊谷支局ブログ

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2011年 9月

特派員:清水 隆明

気仙沼ホルモン2011.09.12

 行田市で開かれていた初の「関東B-1グランプリin行田」「行田おもてなし物産フェア」は11日、大過なく終了いたしました(13日付毎日新聞埼玉面に関連記事掲載)。来場者のはしの重さで競った結果、関東地区の初代覇者には、2010年の全国大会王者「甲府鳥もつ煮でみなさまの縁をとりもつ隊」が選ばれました。初日は52000人とやや伸び悩んだ人出も、この日は85000人が来場し、関係者をひと安心させました(数字は主催者発表)。
埼玉県北毎日会も前日に引き続きブースを出店。なるほドリとの写真撮影会、記念日新聞発行受け付けに大忙しでした。連日厳しい残暑の中、親子連れやカップルに人気だった、なるほドリも休み休みしながら頑張りました(屋外で愛想を振りまき続けるのは20分が限界だそうですよ)。私もカメラマン役などでお手伝い。2日間で万歩計は5万歩以上を計測しました。ただし、体重は600㌘減どまり…。やっぱり、終わった後で酎ハイをたらふく飲んでしまったせいでしょうかね。
ツーショット写真には満足してもらえたでしょうか。記念日新聞はあとでお届けいたします。大勢の人に来ていただき、本当にありがとうございました。また、別の機会にお会いしましょう!

ところで、埼玉県北毎日会は「食べて東北地方を応援しよう」と、物産フェアに出店していた宮城県の「気仙沼ホルモン」のブースへ行き、全員の分30個を購入しました(写真は、香ばしい煙が立ちこめる中、気仙沼ホルモンの焼き上がりを待つ埼玉県北毎日会のメンバー=左側)。
気仙沼ホルモンは、ウスターソースをかけた千切りキャベツの上に、焼いた味噌味のホルモンを乗せたものです。甘辛くちょうどいい歯ごたえのホルモンとキャベツとの相性は抜群! 仕事でなかったら、間違いなくビールを飲んでおりました。

 気仙沼ホルモン同好会の会長で市会議員の佐藤健治さん(44)にお話を伺いました。
気仙沼ホルモンの起源はいくつもあるそうです。有力なのが、昭和30年代に三重県や高知県など他の漁師町から漁船でホルモンが持ち込まれたという説です。漁師は船上の仕事で野菜不足になるからとキャベツが加えられたそうです。味噌でホルモンの臭みを消しました。想像するに、味もさることながら、気仙沼市で有名な海産物だけでなく、食のバリエーションを広げる意味でも浸透していったのでしょうか。

同好会が結成されたのは、被災後の7月。以前、ユネスコ活動をしていた仲間を中心に15人が集まりました。気仙沼市は死者約1000人と行方不明者約400人を数える大きな被害を受けた自治体です。メンバーや友人の中には、家を流されたり所在不明の人がいるそうです。「でも、いつまでも沈んでいられない。地元の名物で立ち上がろう」と、活動を始めたのでした。

県外の出店では、今回の行田市がデビュー戦でした。1食300円で量も値段も手ごろ。初日の販売は500食にとどまりましたが、2日目は倍の1000食が売れました。「とても楽しかったです。暑かったのがちょっと…でも、行田市民ボランティアの協力があったからこそ1500食も売れました。ありがとうごさいました」と、感謝の言葉を口にした佐藤さん。「今も気仙沼では400人以上が避難所で生活しています。道のりは遠いけれど、これからも地元民が復興に向けて元気を出していることを全国に発信していきます」と、意気込んでいました。

ぜひ今度、みなさんもイベント会場で気仙沼ホルモンを見かけたら、味わってみて下さい。食べて被災地を支援していきましょう!