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熊谷支局ブログ

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2011年 8月

特派員:清水 隆明

震災甲子園2011.08.31

「鳥肌が立ちました」と、名古屋市に住む保険代理業、長谷川大さん(34)は声に力を込めました。8月6日に開かれた夏の全国高校野球大会の開会式。「甲子園から、消えることのない深い絆と勇気を、日本中の仲間に届けられるよう、全力でプレーすることを誓います」。快晴の下、銀傘にこだまする金沢高・石田翔太主将の選手宣誓をテレビで見て、長谷川さんは16年前を思い出していました。

長谷川さんは阪神対震災(1995年)直後の第67回センバツに初出場した鷲宮高の主将で、選手宣誓を務めました。当時、私は旧浦和支局で鷲宮高担当として、甲子園まで同行取材しました。

雨のそぼ降る寒い開会式。私は一塁側スタンドで長谷川さんのお母さんとお兄さんと一緒にいました。3人ともドキドキハラハラしながら見守る中、長谷川さんは見事にその大役を果たしました。

「私たちは今、あこがれの甲子園に立っています。地元の皆さんの温かい理解と多くの方々の努力で開催されることに、感謝の気持ちでいっぱいです。私たちは全力でプレーし、夢と希望と感動を与え、復興の勇気づけとなる試合をすることを誓います」
 
言い終わった瞬間、「よくやってくれました。自慢の息子です」と号泣したお母さんの姿を今でも忘れられません。

初めて明かすことなのですが。長谷川さんは選手宣誓が決まって以降、強いプレッシャーを感じて体調を崩してしまい、ある先生に相談しました。その先生が私に「宣誓文を書いた紙を読み上げてもいいか」と打診してきました。さっそく支局デスクを通じて大阪本社に連絡。了解をもらって先生に伝えました。しかし、長谷川さんは決心します。「被災者をはじめみんな頑張っている。自分も奮い立とう」と。

普段は帰宅後に疲れた体で練習を重ね、甲子園入りしてから本番までの数日間は寝る30分〜1時間前、高野和樹・コーチ兼部長(44)=現・上尾高監督=と宿舎でマンツーマンの猛特訓。その努力が檜舞台で実を結びました。チームは1回戦敗退でしたが、その後、選手宣誓へのお礼と感動をつづった多くの手紙が全国から学校に寄せられたということです。

チームを率いた斉藤秀夫監督(54)、写真=現・北本高監督=は振り返ります。「テレビで見てはいたが、現地入りしたら伊丹駅は崩れているは、ブルーシートのかかった家は多いは、震災を肌で強く感じざるを得なかった。大会実施は本当にありがたかったし、長谷川さんは我々の思いをよく伝えたと思う」。その斉藤監督率いる北本高校が、埼玉県大会で選手宣誓を担ったのは、不思議な縁としかいいようがありません。

被災地となった東北地方は、まだ復興途上にあります。「忘れがちだけれど、普通に野球の出来る環境、多くの人に支えられている事実に感謝し、日々の練習に取り組んでほしい」。長谷川さん、斉藤監督、高野監督とも口をそろえます。

季節は変わり、今月から来春のセンバツの参考資料となる秋季大会がいよいよ始まります。1、2年生球児たちが先輩の思いを受け継ぎ、日本に勇気と元気を与えてくれるような、ハツラツプレーを見せてくれることを期待しています。